ドンマイ

『あねとあなた』さんの作品

>『あねとあなた』さんの作品一覧に戻る

※無断転載はお断りいたします。

『先生、あのね』

作 あねとあなた

国守先生と一緒に写ってる写真はたったの三枚。三枚とも集合写真だった。
入学式、小学校の創立百年式、それと、七夕の時の写真。
一年生だった時、七夕祭を一年生の各クラスでして、写真を撮ったのだ。
今も手元に残っているのは創立百年式の一枚だけである。
当時、先生は三十歳そこそこだったのに、実年齢よりも上に見える。
まじめで硬い表情で目をキリッとさせて写っている。
そんな先生だったからか、お話もお喋りも、あまりしていない。

ある時、私は困っていた。
同じクラスの女子児童から
「養護学級の子を叩こうよ」
と言ってイジメの誘いをうけたのだが、断ろうとしたら、
「妹ちゃんはブスだもんね。だから養児なんでしょ。」
と言ってきたのだ。

当時、一年生にしては大きかった身体を丸め、校庭の端に座っていると、先生が通りかかった。
私は先生の顔を“ジッ”と見た。けど、何も言えなかった。しかし、先生は気付いてくれたのか、
「姉人さん、毎日提出している連絡帳に連絡以外のことも書いていいから。」
と言ってくれた。
“連絡以外のこと”その場では気づかなかったけど……そうだ。書いてみようと思った。

連絡帳を広げて、できるだけキレイな字で

 “きょうの、やすみじかんにクラスのなかのさんに、
 ようごがっきゅうのこをたたこうといわれたけど、ことわりました。
 そしたら『まいちゃ んはブスだ』と言われました。いやだったです。”

と書いた。

胸の中がドキドキして、手がそわそわした。
あみちゃんにばれたら、きっともっと非道い事を言われるだろうし、
他の子達も養護学級の味方 をする子はいない。自分が叩かれるかもしれない。
当時は手がソワソワするとおもってたが、孤立することへの不安だったのだろう。

次の日連絡帳を提出した。
その日は昨日のこともあって、あみちゃんとは遊ばなかった。
一人の教室で本を読んでいた。
終礼の時、先生が連絡帳を一人一人に渡した。
私は中身が気になったけど、まわりにみられたらと思うと開けなかった。

自宅で連絡帳を開いた。先生が赤ペンで、小さく返事をしてくれていた。
昨日、何度も見返した、自分の気持ちを見た。
できるだけキレイに書いた字は、緊張で、波打つように“グネッ”と曲がっていた。
“私はイジメられたくない。だけど、他の子もイジメたくない。”
その気持ちは変わらなかった。
先生は平仮名で
“ほかのこをたたいたりしちゃいけない。おしえてくれてありがとう。がんばったね”

――がんばったね。
その言葉を見て、涙が出た。昨日から、ずっと泣きたかったんだ。涙がポロポロでた。

次の日、学校を休んだ。なんだか体調が悪くなってしまったのだ。
夕方の四時を回る頃、電話が鳴った。先生から、だった。
「七夕のイベントで、おり紙ですね。あと、はさみ。
あっ、娘とかわっていいですか?妹ちゃん国守先生よ。昨日のこと聞いてもらう?」
私はコクンと頷いた。
「先生、私、先生に言いたかったのちゃんと書いたけど、なんだかね、とにかく、怖かったの。」
私は上手に話せなかった。
「そうか、先生、姉人さんを頑張らせすぎちゃったんだな。
でも、明日は七夕で写真撮るからおいで。
なかのさんには先生がちゃんと注意するし、心配しなくていいから。」

次の日、登校した。
「今日は七夕祭りをします。飾りを作ってみましょう。」
クラスの皆で七夕の飾りを作った。
一昨日まで気まずかったあみちゃんも楽しそうに飾りを笹に飾ってご機嫌だ。
完成した後、男子と女子に分かれて、写真を撮った。
私は、上手く作れなかったけど、皆で作った七夕飾りはキレイにでき写真を撮った。
先生はもちろんお堅い表情で写っており、後日、保護者に
「一年生の先生にしては、愛敬ないわね。」
と言われたと去年私と再会した時、先生はそう教えてくれた。
でも、私は良い先生だと思っていて、ずっと先生のことを覚えていた。

遊んでくれるわけでも、頭を撫でてくれるわけでもなかったけど、
ちゃんと向き合ってくれていたと今でも思う。でもやっぱりもっとお喋りしたかった。


ページ上部へ↑