ドンマイ

『あねとあなた』さんの作品

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『無知の涙』

作 あねとあなた

最近、私は通所サービスを利用している。通所サービスには四葉さん(仮名)という人がいる。 通所を始める時、四葉さんは名刺をくれた。 その時、名刺に『手話通訳』の文字があり、私は四葉さんにかねてから抱えていた手話に対する疑問を聞き、 その受け答えで「通所してみようかな?」と思い通所しだした。

四葉さんに中学時代の話をし、作文を読んでもらった。 両親と同世代の四葉さんは難聴の先輩の事を書いた作文を笑顔で読んでくれた。 私にとってその作文はエッセイなので事実を等身大で書いたのだが四葉さんは興味をもってくれたらしく、 「その先輩は手話はできるの?」と聞かれたが、私はその疑問にまったく答えられなかった。 なぜなら、作文にも書いたのだが、先輩以外に聴覚障害の児童がおらず、 先輩が手話をするところは一度も見たことがなかったからだ。 だが、見た事がないだけで、それは学校の中、プライベートではわからないので、 私は「分かりません。」と答えた。そして、四葉さんに補聴器の事を尋ねた。 私は当時先輩と話がしたかったが、本当に私の声は聞こえているのか?と考え、話しかけられなかったと尋ねてみると、 「音量を上げるだけでは聞き取れない音もあったかもしれない。」との返事だった。 もちろん今と性能がちがうので、当時の想像である。 私は、「私“は”」などの接続詞が聞きとりづらい事や子音の方がはっきり聞こえる事などを教えてもらった。

四葉さんと話して、作文を三部構成にしたいと思い今回と前回書いた作品を繰り返し読んだ。 二十年近く前のことなのに涙が出た。帰り道のバスの中で涙が頬を伝った。 終章である続編を書いている時も涙は止まらなかった。 そして、何故、私は彼女に手紙を送らなかったのかと今更ながらに後悔した。

今日、平成26年9月29日に“ハンディキャップ論”という本を見ているとき、やっと思い出した。 先輩を意識した時、TVの報道機関で流れていた情報が蘇った。 その内容は、上司が聴覚障害者の部下に手紙で『道草しないで帰ってくるように。』と伝えると、 部下が『私は牛じゃない』と怒ったという内容で、 耳が聞こえる人の言い回しとそうでない人との言葉のセレクトが大分違い、上手く伝わらないという問題であった。 私はそれを思い出した。言葉のセレクトや、なじみのない言葉があり上手く手紙を書けないのではないかとあきらめたためだ。 だが、なぜあきらめたのか? …もちろん疑問の解消の仕方が分からなかったからである。

当時、インターネットもなければ、市民図書館も利用したことのなかった私。 教師は、「忙しい、忙しい」と親身に答えてくれそうにはなく、 子どもや障害についての疑問に答えてくれる所も、知る手助けも私は知らなかった。 もちろん学校の図書館もまだ充実しておらず、障害者の人の事を書いた本は少なく、関わり方を書いた本はなかった。 ただ存在するだけで外国人以上に遠い存在で、どう接すればいいか?どう接して欲しいかなどの情報はゼロに近く、私にとってはゼロだった。

ゼロとゼロに近い事、ゼロと小数点の付くような少ない数など些細な違いなのかもしれない。 でも、私にとってゼロ、つまり、なにも無い、分からない事は恐ろしい。 私は今でこそ、自分の障害を知っている。だが、子どもの頃は分からなかった。 どんなに自分の無力さや他人からの冷たい態度に涙した事だろう。 障害と分かってもらえて世に知られても、「障害を“免罪符”にしている」と噂する者はいる。 努力していても、相手の人生経験でしかその努力も計れないのだ。 相談所で泣いて話しても「なぜ、その時に相談にこなかった?」と責め立てているかの様に連呼する専門家達もいる。

分かっていない時代に分からない事は罪じゃなかった。だが、分かっている時代に知らないという事は罪だと責めるのがこの世の中だ。 だが、中学生当時、自分の心に忠実に手紙を書き私の気持ちを伝えなかったのは、 聴覚障害について知らない事は教えて、と素直に尋ねることが出来なかった私の羞恥心が産んだ無知なのだろう。


P.S.
年配の教師などに私事を話すと、「昔からそういう子はいたよ。」などと言われる。 『なら、その当時からケアしてくれよ』と教師の言葉に反感を持ってしまう私である。 考慮や配慮が足りなかったし、今も充分ではないと思ってしまう。


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