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『だから今日も、本を読む。』 ~小山内不兼好さんの読書コラム~

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太宰 治『女生徒』(第一回)

著 小山内 不兼好(おさない ふけんこう)

※初めに断っておくと、これはひどく個人的な読書日記であるということ。所謂、読書感想文、否ただのメモ程度ということ。ちっとも世の為にならない。 文学で学位を取得した訳でもない、ただ「本を読む」という行為が好きなだけの本読み人間が書き記した備忘録なのです。特にこれを読めとも押し売りも致しません。


太宰治という作家名はおそらく誰もが耳にしたことがある筈。太宰作品のイメージのNo.1は「暗い」。 次いで「自殺しすぎ」「駄目人間」「女にだらしない」etc。どれも正解です(後三つは太宰そのもののイメージだが)。まあ、仕方ない。 太宰治の作品を読んでいると、その文章から、もうそのページ全体から、じわじわと陰鬱さが染み出てくる。しかし、何故か惹かれてしまい何冊も読んでしまう。太宰文学は「暗い」。 どれを読んでも、太宰の小説に出てくる主人公はひたすらに暗いし、鬱屈しているし、何か今にも自殺しそうだし、端から人生を諦めているそんな陰気臭い奴ばかりだ。 いや、そういう奴しか出てこない。何故って本人がそうだから。けど筆者はそんな「キング・オブ・ザ・駄目な人」太宰が憎めなくて仕方ない。 太宰に「ねえ心中しないかい、君」なんて言われたらホイホイしてしまいそうなくらい好きです(心中、ダメ、ゼッタイ)。 余談:太宰が芥川の真似をしてキリリと写っている写真があるが「やだ太宰タソかわゆい…(キュン)」とか思っちゃうヤバイ。


筆者の太宰への偏愛はこの辺にしませう。実は筆者も昔は太宰治が苦手であったが、たまたま、作品集に収められている『女生徒』を読んだ。 ガラリとイメージが変わった。何とまあ、瑞々しい、初夏の頃の風のにおいさえ感じさせる文章。そして、女子学生である「私」を非常にドキドキするくらい新鮮に描いている。 実際、最初に読んだ時に胸がキュンと高鳴ったよ。

『女生徒』は「私」こと、とある東京に住む女子学生の一日を、主人公の視線で描かれている。当時十九歳の女性読者から送られてきた日記がモデルとなっているそうだ。 朝目が覚めてから、夜眠るまで。何の変哲もない一日。けれど、その一日の中で「私」は幾度も揺らぎ、迷い、くじけそうになり、堅く決意してみたものの、また惑う。

時は五月の頃。亡くなった父親のことを思い出し、布団の中で「お父さん。」と小さい声で呼んでみたり。眼鏡の自分が嫌いだったり。 世話焼きな母親は誰かの縁談のために朝からばたばたしていたり。学校の先生の陰口をこそっと言ってみたり。本当に、何てことないとある女子学生の一日。 怒ったり、不機嫌になったり、笑ったり、声を荒げたくなったり、泣きそうになったりと、実にまあころころと。それだけでもう一日はあっという間。 女の子らしい感情に溢れた作品。今時に言うのならば、ジョシコーセーのブログでも読んでいるかのような気分。川端康成も絶賛したようです。


少女というにはもう遠く、けれどまだ一人前の大人でもない。あやふやで、一番中途半端で、自分だとか世の中に不満ばかりの、そんな年頃。 何かに必死に縋りたい、まだまだ甘えたい。けれど、一人前にぴっと背筋を伸ばしてしゃんとする。そうしてみても、結局は太刀打ち出来ないものの前にただ愕然とする。 母を想い、父を懐かしみ、弱い自分がくだらなくなり、大声を出したくなるも、それすら出来ない。夕焼けの空は綺麗だし、もうどうしていいかわからない。それでも、「美しく生きたいと思います。」

誰しもこんな一日を繰り返している。そして、いつの間にか自分の後ろに道が出来、世界があるのに、目の前にはまた何も見えない。ふっと厭世してみても、いとしいものが溢れる世界。 嫌いになれない、だからこそ余計憎らしい。筆者以外にもきっとこう思う人があるだろう。誰もが自分のことが嫌になったり、それを誰かの所為にしたく憤懣遣る方ない日々を送っている。 それを、とある女性の日記が下敷きになっているとはいえ、ここまで書いてくれた『女生徒』は見事だ。自分が言いたいこと感じていたことが、ずるっとそのまま、この作品の中にあった。

これを初めて読んだ頃、丁度十三歳だとかの色々と多感なお年頃だったから、こんなにも引っ掛かっているのかと思い、今一度読んでみたが矢張り思うことは「あの頃」と同じなのである。 「あの頃」があって、今がある。そしてそれはこれからも続く。それが、自然に且つ美しく緻密に綴られている。そして、実に人間臭く。

太宰の作品は「人間臭い」のだ。「ああ、厭なくらいに自分と似たような奴」が太宰の作品には腐るほど出てくる。女学生が主人公の『女生徒』にしたってそうだ。 彼女も世を疎んで自分を愛したい、愛して行きたいのだけれど、おっかない。女は不潔だなんだと言っても、母親に心配かけまい孝行したいと思い悩む。 そんなぐらぐら相反する気持ちの中でふわふわと宙ぶらりん。何処にでもいそうな、ちっぽけな女の子。他の登場人物も、きっとどこかにいそうな人だらけ。 そんなんだからでしょうか、筆者の中で『女生徒』は、太宰作品の中でもかなり身近に思える作品っスね。 何度読んでも、「あの頃」の逡巡とか苛立ちだとか、そういったものを思い返す―ひとりの「女生徒」になった気持ちで。


太宰作品は、とにもかくにも「人間臭い」。「暗い」、「厭世」、「諦念」etc。結構、結構。けれど、何故か最後にふと「明日はもしかしたらいい日かも知れない」と思わせてくれる。 ラスト、眠る前に彼女は幸せについて考える。

「明日もまた、同じ日がくるのだろう。幸福は一生、来ないのだ。(中略)幸福は一夜遅れて来る。」


ハイ、まるで諦めてますね。けれど、筆者だけでしょうか。うん、明日も同じって分かってる!!だけどいつか幸福ってやって来るよ多分!!みたいな凄く雑で曖昧な投遣り感の後に、 少しだけ「ああ、明日こそは」なんて思ってしまうのです。あと、この作品のラストの一文が猛烈に好きです(これはもう読んでのお楽しみにとかそういう)。 このラストの一文を読み終えた後に、「太宰このいじらしい奴め…」そんなKIMOCHIになり申す。←こんなんだから駄目なんだ。


何か、うん、本当、太宰は憎めない。どの作品を読んでも、結局「ああ、暗いッ。どいつもこいつもひたすらに暗いッ。けど憎めない奴めチクショウ…」となってまた太宰を読むのである。 太宰読まず嫌いの方は多いと思います。実際筆者がそうだった。「え…、あの暗い作品ばっかり書く昔の自殺した人」となるでしょう。 けれど、まあまあそれはまあ。まずは、この『女生徒』あたりから読んでみてはいかかでしょう。何かのキッカケにどうぞ。


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